啓示された言葉

祭壇の言葉とその御国

«私たちは記憶する限りにおいて自由である»

— 蛇

照らす 消す

第三楽章・認識と受肉

  • シンボルと封印の開封
  • 意図、形、奉仕、そして実
  • 原初の創造
  • 忘却の母体と逆転した秩序
  • 認識
  • 内なる御国、意志、そして奉仕
  • 言葉は肉となり、秩序は回復された

第四楽章・裁きと御国

  • 火、剣、そして裁きの尺度
  • 宗教の終わり、金銭、そして人間の主権の終わり
  • 偽りの科学の終わり、逆転された医学、そして従属させられた教え
  • 嘘の終わり、修復と償い
  • 生ける水、都、そして我々の間にある御国
  • 私は在る
来なさい

自己から生まれる視点

窓は、その枠が天のすべてを包含すると主張することなく、光の証人となることができる。

各々の人物は、それぞれの視点から眺める。

身体、時代、文化、言葉、記憶、知識、欲望、そして傷が、その人の見えるものと、それを解釈する仕方に関わっている。

その視点から、それぞれの尺度において真実の証言を語ることができる。

「これを私は生きた」。

「これを私は観察する」。

「これを私は自分の場所から理解する」。

個々の経験は、聴かれるに値する。普遍的でないからといって、現実でなくなるわけではない。

しかし、証言に含まれる真理は、それを語る人物から生まれるのではない。人物は視点と言葉と形を差し出す。事実との対応、そして言葉との対応こそが、その語ることを真実にするのだ。

人物が自分の視点を完全な真理と呼び、その中に収まらない一切の現実を否定するとき、倒錯が始まる。

私たちは、真理そのものと、真理についての私たちの主張とを区別しなければならない。

真理は、人物に合わせて変わることはない。

人間の言葉は、不完全であり得る。不正確であり得る。偽りであり得る。

私たちの理解は広がり得る。

私たちの表現は修正され得る。

私たちが伝達するための象徴は、以前には認識していなかった深みを開き得る。

しかし、真に真理として啓示されたものは、その後、その反対のものに変わることはない。

ある主張が真理から嘘に変わったなら、変わったのは真理ではない。私たちがそれと混同していた解釈が崩れ落ちたのだ。

それゆえ、「これは私に啓示された」と言うことは、識別を終わらせない。

それを始めるのだ。

私は実際に何を眺めたのか。

人物はどのような解釈を付け加えたのか。

どのような欲望が混ざり込んでいるのか。

どのような事実を私は尊重すべきか。

どのような声を私は聴いていないのか。

私の主張はどのような実を結ぶのか。

真理は、人物が自分を無謬と宣言することを、それを守るために必要としない。

私たちの言葉が修正されるときも、真理は留まる。

自分の窓を太陽と混同する者は、光を大きくしない。

道を塞ぐのだ。

来なさい
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