時の概念:クロノスとカイロス
クロノスは道を測り、カイロスは時を認める。反転は、測りが御座を占めるときに始まる。
クロノスは計測可能な時間である。持続、連続、時刻、日付、年齢、期限、暦。
カイロスは対応する時間である。何かが起こり得る、あるいは起こるべき、ふさわしく、成熟し、真実の瞬間。
それらは敵ではない。
種は成熟するためにクロノスを必要とする。
カイロスとは、殻が開かれ得る瞬間である。
クロノスは道を歩むことを許す。
カイロスは扉を認める。
マトリックスは、その現実のすべてを計測の中に置き、人間に、時計が整えるものの中で自己を認めることを教えるとき、時間を逆転させる。
時は方向づけることをやめ、支配し始める。
暦は想起することをやめ、指図し始める。
日課は支えることをやめ、反復し始める。
期限は調整することをやめ、脅かし始める。
年齢は一つの段階を名指すことをやめ、宣告を課し始める。
そのとき、人は絶えず自分を告発する時間の前に出頭する。
「遅れている」。
「もうこうあるべきだ」。
「十分に生み出していない」。
「まだ休むに値しない」。
「明日、生き始めるだろう」。
過去は、すでに起こったことを要求する。
未来は、まだ存在しないものを要求する。
現在は、二つの不在の間の廊下にまで縮小される。
不安は、まだ到来していない試練を先取りして生きようとする。罪悪感は、すでに過ぎ去った瞬間に従い続ける。焦りは、現在を犠牲にして、同じく犠牲にされるであろう別の瞬間に到達しようとする。
計測 → 期限 → 圧力 → 加速 → 断片化 → 不在。
時計自体は病ませない。しかし、柔軟性のない予定、絶え間ない脅威、不十分な休息、そして自己のリズムへの参加の欠如に服従させられた人生は、不安、疲弊、身体の損傷を被り得る。
計測は、それが仕えるべきものを忘れた。
しかし、カイロスもまた、ただ気が向いたときに行動することを意味しない。
それは気まぐれでも、放棄でも、与えた言葉の不履行でもない。
時としてカイロスは言う。
「待て。まだ熟していない」。
時として言う。
「休め。壊れた形は仕えることができない」。
時として言う。
「起き上がれ。恐れが、その遅延を分別と呼んでいる」。
時として言う。
「留まれ。別の命が、あなたが引き受けた約束に信頼を置いた」。
意識をもって選ばれた責任は、隷属ではない。
御国において、誰も他者の時間を所有しない。しかし、各人は、必要性を認め、それに仕えることを決めたゆえに、継続性、配慮、臨在を提供し得る。
休息は、すでに十分に生み出した者への報酬ではない。
それは秩序の一部である。
時間は命のために造られた。命は時間のために造られたのではない。
御国には計測はあり得るが、時の主人はいない。
調整はあり得るが、人の売買はない。
リズムはあり得るが、その前に命が犠牲にされねばならない機械はない。
待つことはあり得るが、すでに認められた真理の永久的な延期はない。
働きは、買われた服従であることをやめ、再び奉仕となる。能力が必要性と出会うこと。
クロノスは壁に戻る。
カイロスは扉を開く。
そして永遠は、無限の時間量として想像されることをやめる。それは、命がもはや延期されない、完全な臨在として認められる。