静寂と虚無
静けさは騒音を退け、虚無はまだ入り得ないものに場所を残す。
沈黙は思考を破壊することではない。
それは、人物の中に現れるすべての声に即座に従うことをやめることである。
「私は欲しい」。
「私は恐れる」。
「私は勝たねばならない」。
「私は正しいはずだ」。
「私は認められるに値する」。
私たちはそれらの声を否定しない。
それらに御座を渡さずに、それらを観照する。
沈黙はまた、検閲でも、服従でも、応答の欠如でもない。権力を持つ者が課す沈黙は、真実が語られるのを妨げようとする。御国の沈黙は、傷ついた声も祭壇に入ることができるように耳を開く。
それは叫びを消し去らない。
それを受け入れる。
それは裁きを無効にしない。
それが復讐によって握られるのを防ぐ。
それは言葉を排除しない。
それが語られる前に、それをその起源へと戻す。
騒音が部屋全体を占めなくなるとき、虚無が現れる。
虚無は、非存在でも、存在の無効化でも、アイデンティティの喪失でも、内なる死でもない。
それは応答可能性である。
それは、既知の答えで全ての問いを満たさないときに、開かれたまま残る土である。
それは、反応が選択へと変わり得る間合いである。
それは、自分自身で満たされることをやめた器である。
空になることは、記憶、経験、知識を否定することを意味しない。それらが、理解されるであろうものを前もって支配することなく、立ち現れることを許すことを意味する。
虚無において、私たちは言うことができる:
「私はこれを信じる。しかし、それを観照する用意がある」。
「私はこれを感じる。しかし、自分の感情を絶対的な証拠には変えない」。
「私はかつてこうだった。しかし、現在のいのちに、その皮の中に留まることを強制しない」。
「私はこれをまだ知らない」。
虚無は、欲望を啓示と呼び、偶然をしるしと呼び、答えを得たいという自分自身の必要性を命令と呼ぶ、その切迫から守る。
力によって開かれない封印がある。
沈黙は、錠前を聞くことを可能にする。
虚無は、偽の鍵を造ることを防ぐ。
騒音 → 沈黙 → 空間 → 虚無 → 応答可能性。
沈黙はあなたから声を奪わない。
それを清めて返す。
虚無はあなたから存在を奪わない。
それに場所を返す。